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Posted by たまりば運営事務局 at

2022年12月01日

多摩川電子(製造業、部品メーカー)


多摩川ホールディングス傘下の多摩川電子は、神奈川県綾瀬市に本社を置く部品メーカーです。1970年に設立されました。高周波回路素子の開発・製造・販売の会社としてスタートしました。


高周波無線技術で成長し、1999年に上場


1977年神奈川県綾瀬市に本社工場を移転。高周波無線技術専門メーカーとして成長を続けました。中でも「高周波回路素子」の技術を武器に、計測機器・半導体組み立て事業を展開しました。

1999年8月には、ジャスダックに株式上場(IPO)を行いました。


自動車メーカーの電気的ノイズ試験装置


2010年代になって、多摩川電子は大きな開発テーマに挑戦しました。「光伝送・給電方式の広帯域電磁波計測装置」です。

自動車に搭載された電子機器はどれだけ電気的ノイズを発しているのか。または外部からのノイズに耐えられるのか---。自動車関連のメーカーなどが開発段階に行う電気的ノイズ試験で、より正確な試験結果を得られるようにするための技術になります。


光ファイバーを活用



開発が動きだしたのは2013年ごろです。従来のノイズ試験では試験装置本体と測定アンテナの間を電線でつなぐため、そこで電磁誘導が生じていました。

そもそも電線を使わなければ、よりノイズの干渉を受けずに評価ができるのではないか、と考えたといいます。

たどりついたのは通信用機器を多く手掛ける本業で磨いてきた光ファイバー伝送技術の活用です。光ファイバーを用いれば電磁誘導の影響を受けずに給電し続けられるからです。


変換器の小型化に注力


実現に向け、技術的な挑戦も繰り返しました。

その試みの一つが、光ファイバーから測定アンテナに電力供給する過程で欠かせない変換器の小型化です。

自動車の内部で行う試験では、アンテナの取り回しのよさを損なわないことが重要です。

さらにむやみに小型化を追い求めると、試験に要求される周波数帯域をカバーできなくなる技術的課題もあったそうです。


測定の安定性を向上

変換器内の基板上の印刷配線の見直しなどに半年がかりで奔走しました。

結果、100キロヘルツから6ギガヘルツと、必要な測定周波数の帯域を確保し、試作段階で5センチあった最長部分を2.5センチまで小型化することに成功しました。

さらに光伝送技術を駆使して、測定の安定性や感度の向上を図りました。2014年から順次、商品化を進めました。

以来、自動車メーカーなどの研究開発部門で採用が進みました。  


  • Posted by kenja at 11:56多摩川電子

    2021年03月01日

    ネット証券界の名物経営者~SBI北尾吉孝氏ほか

    日本のネット証券業界の起業家といえば、SBI創業者の北尾吉孝氏が有名です。

    あとは、松井証券の松井道夫氏、マネックス証券の松本大氏、auカブコム証券の齋藤正勝氏あたりが、著名経営者として知られています。

    このうち、北尾氏、松井氏、松本氏について、kenja.tvでそれぞれインタビュー動画が掲載されているのを見つけました。

    ■北尾吉孝氏(SBI社長、創業者)
    https://www.kenja.tv/president/dett32zb.html

    ■松井道夫氏(松井証券の元社長)
    https://www.kenja.tv/president/det7c1zb.html

    ■松本大氏(マネックス創業者)
    https://www.kenja.tv/president/detbw1zb.html

    この3人は、20世紀末にインターネット株取引が日本に登場したころから、業界をリードしてきました。いずれもサラリーマン社長ではなく、創業者あるいは創業家一族として、ネット証券事業を立ち上げた人たちです。

    しかも、この3人が率いてきたネット証券会社は、現在も業界トップとして君臨しています。

    ネット証券ほど、厳しい競争にさらされてきた業界はあまりないでしょう。インターネットが普及し始めて以来、野村證券や大和証券などの大手証券会社が株オンライン取引に参入しました。さらに、アメリカで成功したネット証券会社も、日本に進出しました。商社、クレジットカード会社、保険会社などの異業種も相次いでネット証券会社を立ち上げました。

    しかし、2021年の現在、生き残っているネット証券会社はごく一部です。

    ネット証券トップを走るSBI証券。そして、2位グループのマネックス、松井証券、楽天証券、auカブコム証券。あとは、後発組ながら、新興IT企業グループの一角として急成長してきたGMOクリック証券。

    これらが、ネット証券業界の「勝ち組」と言われています。これら上位以外は、今後も単独で生き残るのは難しいのではないか、と言われています。

    さて、kenja.tvの動画インタビューでは、北尾氏と松井氏が若者へのメッセージを送っています。とてもシンプルで印象的だったので、紹介します。

    ■北尾吉孝氏(SBI)
    「与えられた本分を全うして下さい。学生の本分は勉強すること。社会勉強なんか社会に出たらいくらでもできる」

    ■松井道夫氏(松井証券)
    「人の真似は絶対にしないで下さい」

    一方、松本氏は、創業時のことを、以下のように振り返っています。

    ■松本大氏(マネックス)
    「人工衛星が永久軌道に乗るまでには、いくつかのプロセスがある。
    各ステージで、必要とされているものは異なる。
    最初にロケットで打ち上げるときは、ある一方向に向かった狂信的なパワーが必要だ。
    マネックスも創業当時は、ビジョンを共有する仲間たちで活動共同体のようなノリでやっていた」

    テレビなどで見る限りいつもクールなイメージのある松本氏ですが、
    マネックス創業当初は「狂信的なノリ」でやっていたということで、
    意外感がありました。


    この3人の経営者の会社を比較すると、売上高、利益、株式時価総額などの点において、北尾氏のSBIホールディングスは頭一つ抜き出ています。

    SBIは、マネックスや松井証券よりも遅い時期にネット証券に参入しました。しかし、猛烈な値下げ攻勢によって追い抜きました。現在はSBIが口座数などで業界トップです。

    また、SBIは、投資、銀行、保険などの分野でも成功しています。今や有力な金融コングロマリットです。

    北尾氏は、SBIを立ち上げる前に、野村證券に約20年勤務しました。法人部門やニューヨーク支店で記録的な営業成績を出したと言われています。社長候補の一人と見られていたようです。

    そんなときにソフトバンクの孫正義社長にスカウトされ、ソフトバンクの大型企業買収劇を指揮しました。その後、ソフトバンクから独立し、SBIの総帥となりました。

    つまり、SBIを起業するまでに、北尾氏は通常の起業家とは比べ物にならないほどの実績や経験を積んでいたのです。

    kenja.tvの動画を見ると、そんな百戦錬磨の経営者ならではの風格が伝わってきます。

    北尾氏はインタビューでこう語っています。
    「常に自己否定し、自己進化し続ける。
    『自我作古』(じがさっこ)の精神で、
    新しいものを切り開いていく」

    今後、「ネット証券」あるいは「ネット金融」の世界がどうなっていくのか。そして、SBI、マネックス、松井証券のうち、どこが最後の勝者になるのか。注目していきたいと思います。

      


  • Posted by kenja at 22:09ネット証券

    2020年06月24日

    全国トップの畳屋「キツタカ」の橘高勝人社長

    ~斜陽産業で急成長を遂げた賢者~

    動画サイト「賢者グローバル」(kenja.tv)で、急成長した畳屋の社長さんが紹介されているのを見つけました。

    キツタカという会社の橘高勝人(きつたか・かつひと)社長です。

    キツタカの本社は東京都大田区。関東と関西に17の支店があります。東京の多摩地域でも、八王子と調布に支店を構えています。

    畳屋として全国1位だそうです。個人経営の畳店から、年間売上高が50億円を超える業界のリーダーへと発展。市場規模が年々急減している「畳」という斜陽産業において、極めて異例な存在として注目を集めてきたようです。

    橘高社長は1958年(昭和33年)生まれ。父親は畳職人だったそうです。その父が脳出血で倒れたため、高校生ながら家業を全面的に手伝うようになったといいます。

    それまで医学部を目指していたという橘高氏。畳屋の息子ながら、畳を縫ったことすらありませんでした。父親が元気なころに縫った畳の裏を見て、糸の形跡から縫い方を覚えたそうです。

    「大きい仕事」を獲るために、営業に奔走。マンションなどの建築現場への体当たり的な営業も繰り返し、ディベロッパーやハウスメーカーから仕事を取るようになっていきました。

    ようやく売上高が拡大していくと、今度は資金繰りが悪化したといいます。これを受けて、入金までに日数がかかる新築物件を減らし、賃貸物件へと転換したそうです。つまり、畳の「張り替え」を主力事業にしたのです。

    また、畳製造の世界に成果主義を導入したといいます。労務費の比率を30%以下に設定し、低価格の畳張り替えで大成功したとされます。今後は、畳だけでなく、和室に必要な様々な建具や建材を扱う"和室業界のリーダー"としての活躍が期待されています。

    若者へのメッセージでは「1回や2回の失敗にめげることなく、謙虚な気持ちを持って自分の目標を達成していただきたい」と話しています。

    需要が大きく減っている業界でも、やり方次第では飛躍が可能なのですね。新鮮な驚きでした。

      


  • Posted by kenja at 22:14キツタカ

    2019年12月23日

    工進 小原勉氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    大手ポンプメーカー「工進」(京都府長岡京市)の小原勉社長が、賢者テレビの動画で紹介されていました。

    工進さんはポンプ業界をリードする開発・製造会社です。エンジンポンプの分野では世界シェア1位だといいます。創業は1948年。小原勉社長は二代目の経営者になります。

    創業当初は、ドラム缶から燃料をくみ上げるポンプの製造販売を手掛けました。初代社長は、可能な限りコストを下げて品質の良い商品づくりに励んだといいます。戦後の復興の中で、需要も高まって順調に売り上げを伸ばしました。

    さらに、工場で油を移送するために造っていたポンプが農家の目に留まり、これを応用して川から田んぼに水をくみ上げるのに利用されるようになりました。この2種類のポンプで、会社が軌道に乗ったそうです。

    近年は衛生関連分野の商品で大きく成長を遂げました。1997年に開発した「内視鏡洗浄装置」が、院内感染防止への期待が高まるなか、医療現場から大きな支持を得たといいます。

    大腸など体の内部を検査するときに使う内視鏡の洗浄は、消毒液を使った手洗いが一般的でした。しかし、この方法だと、時間がかかる上、完全に殺菌できていないケースも起こり得ます。

    工進が開発したのは、内視鏡を全自動で洗い上げる内視鏡洗浄装置。殺菌効果がある強酸性水と、付着したタンパク・油脂分を除去する強アルカリ水で洗浄します。時間はわずか5分。これによって、感染症を引き起こすメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)など、人体に有害な菌を取り除けるのだそうです。

    この内視鏡洗浄装置の開発を思い立ったのは、洗浄時間を短縮したいという医療現場の要望からだったといいます。内視鏡メーカーが製造する洗浄装置は以前からあったそうですが、洗うのに40分から1時間近くかかり、何回も検査をする医療現場で使うには不向きでした。

    当時も自ら開発の陣頭指揮をとっていた小原勉社長は「まさに現場の生の声を反映した商品だった」と振り返ります。その後も、環境と安全をテーマに個性豊かな商品開発を進め、園芸用噴霧器や灯油用ポンプなどもヒットさせました。

    工進の年間売上高は125億円。主力商品は今もエンジンポンプや水中ポンプです。しかし、ポンプ分野での優位な地位に安住することなく、ユニークな商品開発を続けるのが、長期にわたる成長の秘訣かも知れません。これからも、世界にはばたく革新的な商品の開発に期待したいですね。

    動画では「大きな目標を持つこと。そして、その目標を達成するまで諦めないことが大事」というメッセージを送ってらっしゃいました。
      


  • Posted by kenja at 21:52

    2019年08月22日

    加賀電子 塚本勲氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    加賀電子の創業者、塚本勲氏のインタビュー映像が、kenja.tvで紹介されていました。

    塚本氏は、加賀電子の創業者です。加賀電子といっても一般の人にはあまり馴染みがないかも知れませんが、電子部品の専門商社として国際的に活動しており、東証一部に上場している大企業になります。

    塚本氏は24歳の若さで加賀電子を創業。70代後半となった現在も、会長としてバリバリ現役で活躍してらっしゃるとのことです。

    kenjaの動画で自らの生い立ちを語ってらっしゃいますが、たいへん興味深いです。石川県出身で、父親は国鉄の線路工夫。戦時中に5人兄弟の三男として生まれました。

    金沢市立金沢工業高校の在学中に都会での生活に憧れるようになり、高校を中退して上京。可変抵抗器メーカーで工場の作業員として勤務します。

    そこで営業の仕事に魅力を感じ、営業部門に配属してもらうと、すぐに社内でダントツ1位の成績を出すようになったそうです。まさに営業が天職だったのですね。

    その後、知人が創業した電機卸会社で営業マンとして働いた後、1968年に独立します。東京・秋葉原で電子部品の問屋を創業。これが加賀電子の始まりです。元手となる資金20万円は、実家の両親がかき集めて何とか工面してくれたとのこと。

    最初は、電機メーカーに片っ端からご用聞きに出向き、必要な部品を仕入れてお届けするという仕事をひたすら続けたそうです。まさにブローカーのような存在ですね。

    お金も信用もない状況ながら、塚本氏らの人柄と人脈を武器に顧客を増やし、会社は順調に成長。大きな危機もなく、売上高も利益も伸びていったといいます。

    24歳で会社を起こした叩き上げともなれば、あくの強いワンマン経営者を想像しがちですが、インタビュー動画での語り口はとても穏やかで、親しみやすさが溢れています。

    組織運営の基本方針は「義理、人情、浪花節」。新しいことに挑戦したい社員がいれば、どんどんチャンスを与えるといいます。社員が考えたビジネスをグループ会社として独立させる場合も多いそうです。

    専門商社という軸足は変わっていないものの、EMS(電子機器の受託製造サービス)などの形で自ら製造も一部手掛けています。「お客様のお役に立つことは率先してやる」という塚本氏の営業マン魂が、今も事業拡大の原動力になっているのではないでしょうか。

      


  • Posted by kenja at 21:32加賀電子

    2019年05月11日

    島精機製作所 島正博氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    島精機製作所 島正博氏へのインタビューです。

    島氏は、東証一部に上場している島精機製作所の創業者で、現在は会長です。島精機といえば、日本を代表するアパレル製造機のメーカーとして有名ですね。「コンピューター横編(よこあみ)機」の分野で市場シェアがなんと世界1位。ユニクロなどの国内衣料品メーカーはもとより、欧米など世界の一流ブランドの洋服づくりを支えています。

    島氏は1937年生まれで、まさに人生の大先輩ですが、動画を見ると、とても若々しくてエネルギッシュです。インタビューでは「次の時代に開発する人を作っていかなければ!」と、後継者育成の意欲を語ってらっしゃいます。

    島氏は起業家や経営者というだけでなく、一流の発明家として知られています。定時制高校に通っていた16歳のときに「二重環かがりミシン」を開発。さらに18歳で画期的な「ゴム入りの軍手」を生み出しました。これまでの特許の出願特許数は1100件を超え、あのトーマス・エジソンを上回るのだとか。

    それでも、動画からは偉ぶっているような様子は微塵も見られません。親しみやすく、人情味ある人柄が伝わってきます。「Ever Onward(限りなき前進)」がモットーだそうで、世の中がより便利になるように、ひたすら革新的なものづくりに邁進しているそうです。

    若い世代へのメッセージとして「何でもコンピューターがやってくれる時代だが、人間にとって一番大切なのは創造力。自分の手で創造していくことで、脳も活性化していく」と強調されていました。人間は何歳になっても成長を続けられる。ものすごい自信と勇気をもらいました。




      


  • Posted by kenja at 12:41島精機製作所

    2015年09月17日

    株式会社アクティブアンドカンパニー 大野順也氏

    ~同世代の賢者より~

    株式会社アクティブアンドカンパニー 大野順也氏へのインタビューです。

    大野氏は、人材派遣サービスの会社に入社し、その社長から起業の道を教えてもらい、その後外資系コンサルで研鑽を積んで起業された方です。

    起業当時は、社長自らの力で売上や利益を出すことが必要ですが、個人で頑張れる範囲には限界があります。氏は、会社の成長のためには、社員に如何にして成果を出してもらえるようにするか、そしてそのためには私のこだわりを捨てることが重要だと話されています。

    このように考え始めると、ひとへの感謝の気持ちも強くなり、会社全体として安定した良いサービスを提供することを考えられるようになりますよね。コンサルティングファームは、能力にばらつきのある個人の集まりという感がありますが、この会社ではチーム力でお客様に向き合っている様子が感じ取れました。

    インタビューにはきはきと回答されている大野氏の話は分かりやすく、会社経営やコンサルティングの考え方がとても参考になりました。


      


  • 2014年08月03日

    大和ハウス工業株式会社 樋口武男氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    大和ハウス工業株式会社 樋口武男氏へのインタビューです。

    樋口武男氏は現在、同社代表取締役会長ですが、創業者の石橋信夫氏からの薫陶を受けて、2001年に同社社長になってご活躍されたことで有名な方です。

    氏の話を聞くと、目上の人への感謝や敬意の気持ちがとても感じられます。特に創業者への敬意がぶれていないのがすごいと思います。大会社で会社業績が悪いときに社長になるひとって、だいたい前社長やそれまでの会社の状態に敬意を表することが少ないですよね。インタビューによると、氏は一度創業者から良くない待遇を受けていますが、創業者と深い信頼関係が継続しています。経営状況が悪い状況で、「基盤は創業者が作ってくれたのだから、自分は会社を伸ばして当たり前」という考え方は、創業者の息子ではない、凡人のサラリーマン社長ではなかなか言えないように思います。

    また氏は若い頃、最初に就職した会社がぬるくてこんなことで良いのかと思い、当時不夜城と言われていたという大和ハウスに転職したそうです。今のご時世の若者ではなかなか無いですね。大成するひとは、若いうちから努力して、高い志をもっています。

    「運の強さというは、凡事徹底できるひとにある.努力をして自己研鑽に努めなさい.」という氏の最後の言葉は身に染みました。毎日、楽をできないかということばかり考えずに、日々成長して、それを人生のチャンスに変えないといけませんね。


      


  • Posted by kenja at 10:35大和ハウス工業

    2014年02月11日

    プライムエージェント株式会社 小林傑氏

    ~同世代の賢者より~

    プライムエージェント株式会社 小林傑氏へのインタビューです。

    目先の数字を追うのではなく、お客様の喜びのために努力するという氏の考え方は、一見当たり前のようで営業マンにはなかなかできないこと。リーマンショック後の不景気の時期だからこそ、この営業の本質を理解した氏の会社が大きく成長できたのだと思います。小さい頃に生死をさまよったことを知らされてから、感謝の気持ちをもって謙虚に仕事に向き合えるようになったという話を聞いて、自分もこのような気持ちを常にもつようにしなければと感じさせられました。謙虚になることで全体を見据えることも出来ると思います。井の中の蛙にならないようにしないと。。。

      


  • 2012年10月28日

    株式会社フジキン 武永健治郎氏

    ~同世代の賢者より~

    株式会社フジキン 武永健治郎氏へのインタビューです。

    先代から会社を継承した氏が語る「社員あっての会社。社員あっての社長。」という話は印象的でした。社長になったタイミングが悪すぎるという話をされていましたが、そういうマイナスからの出発が「社員あっての会社。社員あっての社長。」という考え方をもてるようになったのかもしれませんね。素敵なメッセージをありがとうございました。


      
    タグ :フジキン


  • Posted by kenja at 00:02フジキン

    2012年10月27日

    株式会社構造化知識研究所 田村泰彦氏

    ~同世代の賢者より~

    株式会社構造化知識研究所 田村泰彦氏へのインタビューです。

    目的意識をもって一生懸命取組み、小賢しくならないことが大切だと話されています。分かったつもりというのは成長を止めますよね。

    東京大学の博士課程で研究していたころの厳しい経験が現在の起業に活きているという話が印象的でした。民間企業の方に仕事をいろいろ教わりながら、品質管理が面白くなり、自分の研究内容が少しでも現場の役に立たないかと腐心されたとのこと。厳しくても研鑽を積むことで自信がつき、大胆な行動も取れるようになるのかもしれません。

    創業者・田村氏の研究テーマ


    構造化知識研究所という名前は、田村さんご自身の研究に関係するテーマからきているようです。組織の中に知識や情報がいくらたくさんあっても、それらが有効に使える状態になっていなければ意味がありません。一人一人の知識、一つ一つの集団の情報を構造的に結びつけることで、問題解決力が飛躍的に高まるという理論があるそうです。

    田村氏のように大学を辞めて会社を設立するというのは珍しいように思います。氏は、昨今の高学歴ワーキングプアをどのように考えていらっしゃるのでしょうね。すぐに答えを見つけようとせず、目的を達成するために粘り強く取組むことの大切さを再認識しました。構造化知識研究所のような会社が大学からどんどん出てくるといいですね。

    日本の強みは生産現場


    日本の製造業の強みは「生産現場」にあると言われます。日本経済の中核産業は、高度成長期の重厚長大産業から1980年代以降は電機、自動車に移りました。今後は医療や健康、水関連などの産業に移ってゆくかも知れません。モノ作りでならしてきた日本でも、いやおうなく国内総生産に占める製造業比率は、現在の20%弱から緩やかに縮小せざるを得ないでしょう。

    それでも、「技術」の重要性まで低下するわけではありません。製造業は日本が「富」を稼ぐ重要な分野であり続けると思います。

    ものづくりを支えてきた大学の工学部


    とはいえ、近年、ものづくり日本を支えてきた大学の工学部が苦境に立っていると言われています。特に地方では産業構造の変化と地場製造業の低迷、学内縦割り組織の既得権益化など複数の要因が重なって、急速に輝きを失っているようです。

    大学発ベンチャーの設立数も減っているようです。基盤学問を維持しつつ、学部・学科の枠を超えて生み出す『知』を社会に適応させることが大切だと思います。

      


  • Posted by kenja at 21:38構造化知識研究所

    2012年10月26日

    スペクトロニクス株式会社 岡田穣治氏

    ~同世代の賢者より~

    スペクトロニクス株式会社 岡田穣治氏へのインタビューです。

    エンジニアという立場だけでなく起業家としての覚悟をもって社会を豊かにする技術を発展させていく考え方は、いま大企業になっているメーカの創始者と同じではないかと感じられました。若者は恐れず勇気を持ってどんどん前に出ていってほしいという氏のコメントは、ご自身の若い頃の経験に立脚していて深みがあります。

    大学院卒業後に、売上ではなく利益率のいい会社に入ることが大切だと考えられるひとはなかなかいないですよね。光の工具屋として、これから日本のものづくりをどんどん支援していきたいという氏のビジョンにとても共感できました。


      


  • Posted by kenja at 00:17スペクトロニクス

    2012年10月25日

    株式会社独立総合研究所 青山繁晴氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    株式会社独立総合研究所 青山繁晴氏へのインタビューです。

    最初から話に引き込まれるメッセージ満載です。共同通信にご在籍のころのエピソードが非常に印象的でした。何かを主張して発信する時は、批判に対する覚悟と責任を持たなければならないという点は肝に銘じておきたい点ですね。ついつい良かれとおもって何かを世の中に発信しても、それには影の部分もあるということを認識しておきたいと思います。賢者tvのプロフィールを見ると、氏は共同通信を辞めてから11年半、まだ1日も休んでいないそうです。すごい方だ。。。素敵なメッセージをありがとうございました。

      


  • Posted by kenja at 00:02独立総合研究所 

    2012年10月24日

    クオンタムリープ株式会社 出井伸之氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    クオンタムリープ株式会社 出井伸之氏へのインタビューです。

    ソニー時代、人と違った視点から見て意見や提案をする点と、上層部の方にも平気で意見を述べる点が評価されたそうです。ご自身が社長になるつもりは全くなかったそうですが、大企業の場合、そういう方が社長になったほうがいいのかしれません。

    起業するひと向けのメッセージとしては、「若者、特に男子はもっと頑張れ!」 
    男子としては非常に耳が痛いですねー。ウジウジ細かいことを気にせずに前を向いてバリバリ頑張らねば。。。

      


  • Posted by kenja at 00:03クオンタムリープ

    2012年10月23日

    株式会社ドリームインキュベータ 堀紘一氏

    ~人生の大先輩の賢者より~

    株式会社ドリームインキュベータ 堀紘一氏へのインタビューです。

    時間かかってもよいから本物を作って欲しいという熱いお話でした。素直さと謙虚さをもつことが大切だということを言っておられます。何でも自分は知っているとか分かっているという態度を取らないこと。氏の「私が63歳でも分からない事だらけなのに、30歳40歳の人にそんな色んな事が分かる訳がない。」という言葉には重みがあります。

    謙虚に素直に仕事に取り組む姿勢を忘れないようにしたいですね。